ありがとうが生まれる時

YOGA Cooria

暦の上では秋。
今年は雨が多く夏らしくない夏を越し、
爽やかさが待ち遠しくなる。

9月になりまだまだ蒸し暑さは残るも、
確実に秋に近付いていると感じる
ある晴れた日の朝。

お出かけしないと勿体無い。
カフェでのんびりお茶でもしようかなと…
何となく電車で向かった先は代官山。
乗ったのは穏やかに揺れる各駅停車。

ー 今回のお話はそんなある晴れた日の出来事から ー

車内は久しぶりの快晴とあって
なんだかほのぼのムード。
居眠りする人や楽しそうに会話する人たち。
車内は程よく混んでいて空いている席は一つもない。

ある駅で…
電車内に1人の老人男性が乗って来ました。
だれもが迷いなく『お年寄り』と認知出来る見た目で、
すぐさまドア付近に座っていた若い女性が席を譲りました。
老人は「すみませんねぇ」と言ってそのまま座るかと思いきや、
荷物を座席に置いてから若い女性のところによたよたと歩いて行きました。
そして、「ありがとう!」と大きな声で言い、深々とお辞儀。

思わずその声の方向に目を向ける他の乗客たち。
周りから注目され、ちょっと恥ずかしそうでしたが、
「いえいえ、当たり前のことですから…」と言葉を返す女性。

一部始終を見ていた私は
改めて「ありがとう」の言葉の持つエネルギーを感じながら
様々な想いが頭を過ぎりました。

確か…「ありがとう」という言葉の由来は「有り難い」。
それは「当たり前ではないこと」「滅多にないこと」への感謝の言葉。
つまり、「滅多にないこと」の反対は「当たり前」になるから、
「ありがとう!」と声を掛けた老人と、
「当たり前のことですから…」と言葉を返した女性との間には
正しい会話が成立していることになる。

こんな光景なら微笑ましいけれど、もしもこれが違うパターンで
老人が乗ってきたにも関わらず譲って貰えない状況なら、
きっと老人専用車とかを作ればいいのにとか、譲らなかったら罰金とか、
もっと厳しい規則があればいいのにと思ってしまうかも知れない。

では、もし規則を作り「譲る」という行為がなくなったら…
はたして世の老人たちは皆んな心地よく元気に過ごせるのでしょうか?
規則を守り、お年寄りのために席がいつも空いている状況なら快適なのでしょうか?
もしそうなれば、今回のような「ありがとう!」の声は
きっとなかなか聞くことは出来ないでしょう。

行動や言葉で「ありがとう」の気持ちを表すことは、
人と人との大切なコミニュケーションツールでもあります。
当たり前が当たり前じゃないからこそ、感謝の気持ちが生まれ、
「ありがとう」が行き交う現代。
未来に全てを規則化してしまったら、
こんな言葉を使う機会はなくなってしまうかも知れません。

老人から出た「ありがとう」の言葉はきっと、
「何としても席に座りたかったから」ではなく、
例え座らなくても大丈夫な程の体力があったとしても
女性からの目に見える気遣いに対しての喜びと感謝ではないかと、
私はその「ありがとう!」の言葉の響きから感じるのです。

これから先の未来には様々なものがロボット化し、
益々便利な世の中になるけれど、
ロボットや機械にはない「心」を大切にし続けたい。

無理やりの規則が増えずに減っていく世の中になればと、
「ありがとう!」の言葉から感じる今日この頃。

自分が贈りたい「ありがとう」の感謝の気持ちは
今、いくつあるのでしょうか?
それは「当たり前じゃない」からこそ贈りたい言葉。

皆さんの「ありがとう」は今いくつありますか?

当たり前じゃない
「ありがとう」を贈りたいその一つ一つを大切に…。

YOGA Cooria

代官山でお散歩の休憩に入ったカフェ。
一緒に過ごす家族を目の前にさらなる「ありがとう」が生まれ
温かいカフェラテを頂きながらのんびり会話をしていたら…
なんと、飲んでからしばらくして気付いたハートのラテアート。
ここにもさり気無いおもてなしの「ありがとう」がありました♩
(はじめから気付かずすみません(^_^;)


【お知らせ】
●2017年10月21日(土)開催「はじめてヨガワークショップ」
急遽開催のため募集期間が短いですが
今回も新しい出会いを楽しみにしております。
先着順のため、お申し込みはお早めに。
詳細は以下をクリックしてご覧ください。

はじめてヨガワークショップ

●東京・銀座の老舗「銀座アロマテラピースクール」にて
「アロマ de ケアレピヨガ 1dayレッスン」を開催
2017年11月18日(土):14時〜17時
受講費:5900円
アロマの基本を学び、ヨガや薬膳のお話を交え、
秋冬の季節に順応できるカラダ作りを目指したケアレピレッスンです。
こちらのワークショップはアロマもヨガもはじめての方向けの優しい内容です。
ご興味のある方はお気軽にお問い合わせください。

ヨガスタジオクーリア おかげさまで7周年

Cooria 7th Anniversary2010年7月1日
横浜・港南台
この場所でヨガスタジオをオープンして丸7年が経ちました。

7周年記念はCooriaのロゴ入りボトルを作成し
通われている生徒さんをはじめ、
日頃お世話になっている方々へお渡ししています。

ボトルの色は3色

ブルーは見ている人の心を鎮め落ち着かせてくれる色。
青く広い空、広い海のように平和でありたい
そんな方にオススメです。
精神を鎮め「自分」と向き合うきっかけをくれるかも知れません。

グリーンは心身ともに安らぎ、呼吸を深めてくれる色。
空気の美味しい緑の中にいるような
いつも自然体な自分でありたい
そんな方にオススメです。
ゆったりとリラックスする時間を与えてくれるかも知れません。

レッドはエネルギッシュで心を熱くする色。
勇気を出したい時、行動したい時
明るく元気な自分でありたい
そんな方にオススメです。
心に火が灯り何かにチャレンジする力を与えてくれるかも知れません。

素敵な場所を発見した時のワクワクする感覚。
今の自分に必要な色に気付いた時の感覚。
Cooriaでは
いつも新鮮な気持ちでレッスンに参加して欲しい
そんな想いで日々レッスンの準備を行っています。

「初心の心」

それは私自身が大切にしている想いでもあり
通われている生徒さんの心にもあるもの。

この場所でどんなに長く指導しても
どんなに長く通っていても
朝目覚めれば、それは新しい自分の始まり。
新しい自分にマニュアルはなく
自分自身が理解し、心地よく過ごせる方法を探すために
自身と丁寧に向き合うことが大切なのです。

初心の心があるからこそ
向き合える自分自身。
そこには未来、沢山の収穫が待っています。

この先Cooriaと出会う方には
私だけでなく
いつでも初心の心を持った心素直な人たちと
一緒に過ごす心地よい時間を
楽しみにして頂きたいと思います。

たまにホームページに遊びに来てくださる方
いつもブログを読んで下さっている方
Cooriaと出会う全ての方に心より感謝と
この場所で
更なる出会いを楽しみにお待ちしております。

しばらくの間、この場所で出会う方に
7周年記念のボトルをお渡しします。
どんな色とご縁があるのかどうぞお楽しみに。

8年目もどうぞ宜しくお願い致します。
Cooria:Chai

YOGA Studio Cooria
今年もまた…
お庭には「キボウシ」の花が咲いています。
時の流れは早いものです。

 

窓のこちら側。そちら側。

ある日の朝、
スタジオ前の庭に空から落っこちてきた
ちっちゃなスズメの子。

窓のこちら側から外に出ると
岩の側の土の上で震えている。
スズメは人間が触れてしまうと匂いが付くことで攻撃されたり、
仲間外れにされてしまう。
それを知っているだけにどうすることも出来ない。

ビニール手袋をはめて安全な場所に移動させるも、
それから間も無く
ちっちゃなスズメは息を絶えてしまった。

さっきまで動いていたのに。
さっきまで親鳥が心配そうに鳴いていたのに…。
目の前の小さな命の終わりに
呆然と立ち尽くすしかない状況。

その数秒後
背後にまた何か落ちてきた。
「え!?また???」
それはまたしてもちっちゃなスズメ。

それは空からではなく
当たり前だけど巣が屋根の上にあって
そこから落ちてきている。

でも何だか私には
それが空から落っこちてきたように感じてしまう程
続けて起こる出来事に
ただ立ち尽くし呆然としてしまうばかり。

そして数分後
2番目のちっちゃなスズメも息が絶えてしまった。

自分がちっちゃかった頃
「獣医さんになりたい」そんな夢を持っていたのだけれど
獣医さんは動物を助けるだけじゃなく
助けられない命もあると知り
幼心に自然とその夢は薄れていったように思う。

命って一体何なんだろう?
お腹に宿している時から子を守り、
生まれてしまえば勝手に育つものでもなく
食事を与え、安全に配慮し、ようやく独り立ちをする。

鳥の世界では
ある程度成長すると飛ぶ練習を始める。
だからきっとこれは飛ぶのに失敗したのかも知れない。
もしくは飛ぶ練習ではなく
ただ単に巣から落下しただけなのかも知れない。
どちらにせよ、地上数メートルで育てるには常に危険がある。
どうにかならないものなのか…
落下して死んでしまわないように。

でも、例えば地面に近い場所に巣を作ったとしても
きっとそれはまた別の危険が潜んでいるわけで
結局はどこにいても完璧に安心な場所なんてない。

「儚い命」
こういう時にこの言葉を使うのかどうかは
わからないけれど、私の頭にはこの言葉が浮かんだ。

「儚」(はかない)は「人」の隣に「夢」(ゆめ)と書く。
「夢」という漢字の語源は元々暗いとかぼんやりという意味なのだそう。
人+夢=儚
「儚い」とは人間がどうすることも出来ず
ただぼんやりと佇む様を表しているのかも知れない。
以前、自分がお腹に宿した新しい命を失った時
似たような感覚になったのを覚えている。
「今まで、命が確かにここにあったのに…」と。
どうすることも出来なくて、その状況を受け入れることで精一杯。
しょうがないと思うしか、その時の自分に出来ることはなかったように思える。

ちっちゃなスズメに対しても
どうすることも出来ず
ただそれを見守るだけの時間だったけれど
人の手を加えることの出来ない
加えられないからこそ
生きているその一瞬一瞬が美しいものなのだと
自然界の生き物を見て思う。

都会の小さな庭でも
目の前に自然があることで
日々生き物の生と死を目の当たりにする。

息を絶えた、それは元々息があり
確かに生き物が存在していた証。
目の前で起こること全てに何か意味があるのだとしたら…

鳥が巣を作れるような自然を
この先もずっと残してあげること。
窓のそちら側を大切に守ること。

庭の自然を眺めながらのレッスン
そんな贅沢な時間を保つことは
同時にそれを残すことであり
私たち人間だけでなく
生き物たちにとっても大切なこと。

レッスンの最後に
自然の景色を見つめる時間は
「今確かにここにいる。」と
自分自身が気付く「生きている証」でもある。

自然界の儚い命の存在を知り
「生きること」
その意味を深く考えなくても
自然と心に答えが見えてくる。

「今日も大切に与えらた命を使おう」
そう思える時間を
スタジオの窓のこちら側から自然を眺め
与えられていること全てに感謝しながら過ごす時間。

そんな時間も
もしかしたらきっと
とても儚いものなのかも知れない。

だから「今」を大切に…
そう思う窓のこちら側。

ビロードうさぎ。

Cooria

絵本って不思議です。
幼い頃に読んだお話も、大人になって読んでみると
まるで違った感覚で心にじんわりと内容が染み入ることがある。

私にとって「ビロードうさぎ」もその一つ。

これは、人間の坊やとボロボロになるまで可愛がられた
一匹のうさぎ(ぬいぐるみ)のお話。


クリスマスの朝、坊やのプレゼントとして他の物と一緒に靴下に入れられていた、ビロードで出来たうさぎのぬいぐるみ。うさぎは自分が何を見本にして作られたのか、うさぎという生き物がいることさえ知りませんでした。ある日、子供部屋でうさぎはロボットのおもちゃから「自分こそ本物だ」「本物そっくりのロボットだ」と自慢されてしまいます。ただのビロードで出来たうさぎは自分が恥ずかしくなり、部屋の隅っこで小さくなっていました。すると優しい馬のおもちゃから「本物」について話を聞かされます。「本物というのはね、長い間に子供の本当の友達になったおもちゃがなるものだ。
本物というのは、ただ遊ぶだけじゃなく、心から大切に、大事に思われたおもちゃは本当のものになる」と言いました。うさぎはそれを聞いて、いつの日かその「本物のうさぎ」に自分もなれたらいいなとワクワクします。

うさぎは坊やといつも一緒。家の中でも外でも遊んでもらい、だんだんと汚れていきます。ある日、ばあやが坊やに言います「こんな汚いぬいぐるみのおもちゃ、一体どこがいいんだろ?」と言うと、坊やはすかさず「この子はただのおもちゃなんかじゃないよ。僕にとっては本物のうさぎなんだよ。」と言い、それを聞いていたビロードうさぎはその言葉に喜び、ついに本物になれたと信じました。

ところがある日、草むらで本物(動物)のうさぎたちと出会い「こいつは本物のうさぎじゃないぞ」とからかわれてしまいます。「本物のうさぎじゃないって?」 不安と悔しさを感じつつも、坊やの言葉を信じ、ビロードのうさぎは本物だと思い続けます。それだけで幸せでした。

そんなある日、坊やが病気になります。病気が治り、またいつもと同じように遊べると思っていたら、お医者さんからまた同じような病気にならないように、汚いぬいぐるみやおもちゃを捨てるように言われてしまいます。坊やと突然の別れ。

すると、捨てられ悲しむうさぎの前に突然妖精が現れました。「あなたは本物のうさぎではありません。本物のうさぎにしてあげましょう」と言いますが、うさぎは「今でも本当のウサギだよ」と言います。しかし妖精は「ええ、坊やにとってはそうでしたよ。本当にあなたを愛していましたから。でもこれからはあなたを誰もが本当のうさぎに見えるようにしてあげます。」と言われ、魔法で「本物(動物)」のうさぎに変えてもらうことが出来ました。

季節はめぐり、ある時動物になったうさぎが坊やの前に現れました。ところが坊やは「あのうさぎ、僕の古いうさぎにそっくりだ」と思うだけで、あのうさぎが坊やに会いに来たのだということを、坊やは少しも気がつきませんでした。


坊やにとって大切な本物の友達であり本物のうさぎとなったビロードうさぎ。
それだけで幸せだったのですが、最後には動物のうさぎになってしまいます。

さて、皆さんは自分が何なのか、
何の「本物」なのかを考えたりしますか?
もしくは何かの「本物」を目指していたり?

ちなみに私は、ヨガ講師です。
ヨガだけではありませんが、クーリアではヨガ指導が中心となります。
「本物なの?」と聞かれたら「どうかなあ?」と笑いながら答えるでしょう。
(そんなこと聞かれませんけどねw)
「ヨガとは何なのか?」は自分なりにいつも向き合いますが、
「ヨガ講師とは?」「本物とは?」
つまり「ヨガ講師の本物」に拘りはありません。

もしも自分が「ヨガ講師の本物」に拘ってしまったら、本物とは何かを追求したり、
本物になることを求めてヨガ発祥のインド山奥で修行していたかも知れません。
例えば「ヨガ講師の本物認定」なるものがあるのなら、
その肩書き欲しさにエネルギーを注いでいたかも知れません。

そもそも「本物」って何なのでしょうか?

お話しの中で馬が話していた
「本物というのはね、長い間に子供の本当の友達になったおもちゃがなるものだ。
本物というのは、ただ遊ぶだけじゃなく、

 心から大切に、大事に思われたおもちゃは本当のものになる」
というセリフが心に響き、ここに大切なメッセージがあると私は感じています。

「ヨガ講師の本物」って何だろう?
本物になったら何が変わるのだろう?

私の元には日々レッスンに来て下さる生徒さんたちが沢山いる。
もうそれだけで十分だし、
一緒に過ごす時間を大切に感じて貰えたら素敵です。

私の場合、講師でも一児の母親としてでも
お話の中のロボットのように
「私は本物だ」と自慢する人間には成りたくない。

妖精の「これからは誰もがあなたを本当のうさぎに見えるようにしてあげます。」という魔法。
これも正直、私なら望みません。

誰からも「

本物」に見えることよりも、一人一人と心で通じ合い、
肩書きではなく、
大勢でもなく、たった一人でも「この人は自分の人生にとって大切な人」と感じ、
自分の存在価値を認め愛してくれたら本当に幸せなことです。

仕事でもプライベートでもそれは同じこと。
自分が自分に納得できることをして
自分を必要だと思ってくれる人がいれば
そんな立派な外見は必要ない。

ビロードうさぎの絵本は読んだ後
人それぞれに様々な捉え方があるようです。

〜あのうさぎが坊やに会いに来たのだということを
坊やは少しも気がつきませんでした。〜

と、終わるところはハッピーエンドだと感じる方もいれば
寂しい終わり方と感じる方も。

私はその時々で感じたままに、心に何かしら気付きが生まれたら
それは自分にとって大切な一冊の「本物の絵本」だと思っています。

その大切な絵本を子供や家族に渡したり
大人の大切な人に渡したり
「ビロードうさぎ」の絵本が
ぬいぐるみのうさぎのように例えボロボロになったとしても
この先も大切にしながら周りの沢山の人の手に渡して行こうと思います。

本物って何?
大人になり、そんな疑問を抱いた時に読んで欲しいなと思う一冊の絵本。

誰かの本物になれたなら
誰もが本物だと思ってもらわなくてもいい。

あなたは誰の本物ですか?
誰を、何を本物(大切)だと思いますか?

ご縁を結ぶ旅

週末…
島根県の出雲と松江に行ってきました。

出雲といえば出雲大社、そして温泉。
私にとってここは初めての場所。
ご縁があればいつかは行ってみたい。そんな場所でした。
でも、「行ってみたい」ではいつまでも行けず
「よし、行こう」と決めた結果、今回ご縁を結ぶ形に。

「ご縁」
この言葉はモノ・ヒト・コト・バショ
それらと結ばれるきっかけを意味し
縁の前に「ご」が付けられるのは感謝の表れ。

日常の何気ないことでも
全てが当たり前ではなく、ご縁あってのこと。
運命をもし変えられるのだとしたら
「縁」を意識し、行動することで結ばれ
きっとその先の未来に
「ご縁」という感謝の気持ちで満たされる自分と
出会えるのかも知れません。

飛行機約1時間半
「出雲縁結び空港」へ到着。

空港からすぐに出雲大社に向かい
大鳥居を見上げた時「なんて温かく心地いい空気感」
「今、なぜかここにいる」そんな不思議な感覚。

出雲大社は「縁結びの神様」とも言われ
参拝者には良縁(恋愛の)を求める若い女性同士が目立ちます。

「良縁」

そう、一般的に縁は良いもの悪いものと分けられ
神社にはもちろん良縁を求める人で溢れます。
縁と言っても恋愛だけでなく仕事や嬉しい出来事など願いは様々。

でももしかすると、善と悪、表裏一体のこの世の中で
悪と出会うことは決して悪いことばかりではなく
良いことを知るきっかけとなる。
そういう意味では悪縁も人生の中には必要なこと。
悪縁の中にある心の気付きや人生の学びを得られれば
本当は縁に善も悪もないのでは?とも思うのです。

「この縁を結ぶのか結ばないのか」
私たちは時にそんな選択肢と直面し、思い悩むのかも知れません。
縁を切る側だとしたら、思い悩み最終的にどちらを選んだにせよ
きっとそれが今の自分にとって最良の結果。
縁を切られた側も、全ては自分の起こした結果。

「因縁生起」という言葉があるように
「因」とは結果を起こさせる原因、「縁」とは条件
因と縁が関係し、あらゆる出来事が成り立っているという意味。

縁によって今の関わりがあり
その関わりを良くも悪くもするのは自分自身。

ここで少し話を戻すと
「縁結び」と「良縁祈願」は違うようです。
縁結びは特定の人と結ばれたいと願うこと。
良縁祈願は良い出会いを願うこと。
なので、「良い人と出会えますように!」と出雲大社で願っても
ちょっとそれは違うよ。と神様に言われてしまうのかも知れませんね。

出雲大社は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
つまり大黒様が祀られている神社。
大黒様は福の神・商売の神・金運の神様として人気の神様。
この神社に10月は全国の神様が集まって会議をするとされ
その期間は他の場所に神様が不在となってしまうため
10月を神奈月(かんなつき)と呼ぶのだそう。

初めての出雲大社詣り
私にとっては今あるご縁や努力してきた結果に対し、
今の自分に感謝の気持ち以外何もありませんでした。
基本的に神社ではいつもお願い事ではなく感謝の気持ちを伝える私は
同じようにここでも伝えることができて本当に良かったと思っています。

「縁結び」という意味では
先日結びたいと願っていたことが、なんと帰宅後に叶ってしまいました。
(おお〜びっくり)

もちろん努力あってこそ。
これこそが、縁を結びたいと努力した結果。
「因縁生起=縁起」として
縁があり、結ぶ努力をし
そこから良いことに繋がるのだと改めて実感。

「物事は全て繋がり成り立っている」
縁を結び・繋がり・バランス良く引き合える
そんなご縁をこの先も大切にしたいと思います。


【旅の道中のご縁たち】


出雲大社で頂いてきた「縁結びの糸」
この糸をどこかに結んだり
縫い糸にしたりすると良いご縁があるとのこと。
分け与えるように書かれているので
欲しい方はお声がけください(どうぞ遠慮なくw)


境内の長い道


ひょっこり現れた人懐っこく可愛い一羽の鳥。
酉年だけに…縁起いいかも!?


出雲大社、紙門通り。色々なお店が立ち並ぶ。


日本酒が美味しいので昼間からついつい。


出雲と言ったら「出雲そば」
丸い器に入った割子蕎麦は色々楽しめて美味しく頂けます。


今回の宿泊地は「玉造温泉」にある
「星野リゾート:界出雲」


お部屋のお風呂で玉造温泉美肌の湯にたっぷり浸かりました。
(美肌になったかは別として(^^;;)
なんと島根県人は全国で美肌ナンバー1なのだとか。


色鮮やかなお食事。やっぱり和食は美味しい美しい。


雅楽も楽しみました。
演目は「ヤマタノオロチ」


翌日は「松江」へ。
松江城の周りを船でのんびり周遊。


松江と言ったら小泉八雲。
こちらは私が所属するギリシャ協会でご縁を頂いた
小泉八雲の曾孫である小泉凡さんが館長を務められています。
とっても素敵な場所にありました。


小泉八雲記念館の隣にある
「八雲庵」というお蕎麦屋さん。
中に入るとお庭があってこちらもいい雰囲気。


鴨南蛮がとっても美味しい!おすすめです。
(もちろんまた日本酒も頂きましたw)


丸いオブジェ。丸くて大きな物体を見つけると
ついつい抱き付いてみたくなる。
(のは…私だけ!?)


今回の旅、自分へのお土産はスタバの出雲限定マグカップ。
「縁結びの神様」な出雲大社にちなみ、「繋がり」をコンセプトとしたマグカップ。
そのコンセプトを表現するため、マグカップを重ねることができるのが特長なんです。
出雲らしく”めのう”をイメージして作られ、柄の付き方が一つ一つ違い
「開けた時のご縁を大切にして下さいね」と、スタバスタッフの方。
開けた瞬間、色柄が素敵で一目惚れ♡
このご縁、大切にします。(割らないように…)

 

以上
2017 春 出雲・松江の旅でした。

春はゆる〜く。

3月3日
今日は雛祭り。

スタジオのサロンでは毎年恒例、雛人形(親王飾り)が飾られています。
数週間前からヨガレッスンの際に生徒さんがその存在に気付くと
「やばい。うちも早く出さなきゃっ」そんなセリフが断トツ多いのです。

年明けから節分、バレンタインデーと行事が過ぎ、
ついつい忘れてしまう人形飾り。
中には「ここの雛人形が可愛いので自分のは飾らず、毎年眺めて楽しんでいます」
というスタジオの雛人形ファンな方も。

日本の昔からの式たりは慌ただしい現代にはなかなか難しいもの。
焦らず、「無理な時は無理」とゆる〜く
今の状況を受け入れてみてもいいのではないでしょうか?
出さないとなんちゃらと、色々とジンクスはありますが
それを気にして焦っていては心は豊かになりません。

春は緩みが大切な時期。
女性の体で例えてみるなら整理中といった感じで
心と体は今、ゆったり過ごすことを一番必要としています。
なぜ緩みが必要なのか?
それは春が排泄期(デトックス期)だから。

皆さんはトイレで排泄する時、まずは心も体も緩めますよね?
人間にとってうまく排泄するには、まず緩みが必要。
そして、排泄しないと老廃物や毒素など、余計なものが体に残ったままに。
体に入ってきたものに対して不必要なものは外に出す、
こうして様々なものが循環しながら生きています。

思考も同じで、入ってきた情報を全て受け取っていると
そのうち頭がパンパンに。
一旦リラックスすることでいらないものに気付き「まいっか」となる。
あれもこれもと求める前に、まずは緩めて、余計なものを排泄して
また新たなスペースを作り新しいものを入れていく。これが循環。

緩みは自分からの許可。
自分に厳しいといつまでたっても緩めることは出来ません。
自分に厳しい時は大抵、周りにも厳しいものです。
周りに厳しいから自分がも緩められないのかも知れません。
緩めて、今の自分に不必要なものを手放せた時、
新たな空間が生まれ、そこに新しい何かが入って来ることでしょう。
それはきっと、柔らかな笑顔と共に…。

春…
「まいっか」と緩んだ後
新たに手にした「何か」を大切に。

お雛様、今度はひな祭りが終わった瞬間に
「あ〜片付けなきゃ〜」とならず
しばらく飾っておいても大丈夫。
ゆる〜く参りましょう。

スタジオの雛人形はちゃんと片付けますけど。w

心のヨガはじめ

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今年で4回目となる
New Years Carerepe Yoga in 江ノ島
今回も定員一杯、沢山の方々にご参加頂きました。

「去年参加してとってもいい一年を過ごせたので今年も参加しました!」との
嬉しい言葉を下さる方や「このイベントは欠かせません!」とおっしゃる方、
毎年ご参加の方だけでなく、初めての参加でワクワクされている方など
始まる前からとても素敵な「気」を頂き、恒例のケアレピイベントがスタート。

この一年をHappyに、快適に過ごすためのケアレシピをお伝えしたり
ヨガしてランチしてのたっぷり4時間。

いつものスタジオからではなく
海を眺めながらスタートする新年のヨガは
主催者でもある私にとっても毎年欠かせない、大切な時間。
どんな時間だったのかは
こちらのイベントレポートをご覧頂くとして…

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今回はイベントの最中、皆さんと何気なくお話したことや
帰りの電車で一緒になった普段通ってくださっている生徒さんたちとの会話の中、
心でじんわり感じたことをお話したいと思います。

まず、レッスンの冒頭でこんな質問をしました。
「昨年、あまり良い年ではなかったと感じている方いらっしゃいますか?」
ゆっくりじっくり考えながら手を挙げる方、
「はい!」と元気にあげる方、
多分、まあまあな一年だったかな…と穏やかな表情でこちらを見つめる方、
昨年への思いは人それぞれ。

私は、「昨年何かの壁にぶつかったり、今まで順調だった人や物事との関係が急に上手く行かなくなったり、八方塞がりになったり、物事に行き詰まった方がいらっしゃるなら、それは今年きっと飛躍の年になる」そうお伝えしました。(ちなみに自分、占い師ではありません。念のためw。)

毎年神社で新年の祈願をする方もいらっしゃるかと思います。
お賽銭箱の前で何をお願いするのか、きっと皆さん神社に行く前
もしくは長い行列に並んでいる最中に自分の心と向き合い考えると思います。

明確な目的があればそれが成就するように願うでしょうし
なければ改めて目標を定める、そんな時間でしょうか?
中には何も願わず感謝の気持ちを伝える方もいらっしゃるはず。

昨年が良い年ではなく感じ、自身の心や置かれている環境と
じっくり向き合うことの多かった方はきっと、
そんな「向き合う時間」の機会を与えられていたのかも知れません。

酉年ということで 「飛躍の年」
飛躍とは「大きく飛ぶ」こと。
大きく飛ぶには助走や深くかがむ姿勢が必要になります。
一旦立ち止まり、少しずつ速度を上げ、段々加速をつけながら飛ぶ飛行機や
今まで保っていた姿勢から深く膝を曲げ、低い体勢からジャンプをする時など
どちらも止まったり低くなったりで「またうまく飛べるのだろうか?」
一瞬そんな不安が過るかも知れない。
それでもまた飛んでみたい。
そう願うなら、この時間は飛躍するには必須であり、
「向き合う時間」それは大きく飛ぶための大切な準備期間。
もちろん飛行機だって体だって、飛ぶ前にはメンテナンスも必要で
諸々色々なことがあっての快適な空の旅、素晴らしい飛躍となる。

「嫌な年」それはもしかしたらこの先の未来に飛躍するために必須だったのかも?
そんな風に考えてみては如何でしょう…。
物事の捉え方次第で人生は大きく変わります。
人生を好転させるのは神様ではなく、ご自身の心のあり方。

帰りの電車で会話をした生徒さんたち、
スタジオがオープンして間もない頃からの方は約6年間。
その他の方も4年、5年と
気付けばクーリアには長く通って下さる方ばかり。
過去を振り返り、「もうそんなに通ってたんですね!」と盛り上がる中で
1〜2年間来れなく、昨年また復活された方も…。

来れないからといって気にすることはありません。
介護や子育て、ご病気など理由は様々ですし、
私にとってはその時間が皆さんの心と体へ向き合う時間として
大切にして頂きたいと願う期間でもあります。

皆さんにとっては長い時間も私にとってはあっという間。
どなたかが復活された時は大抵
「あれ?そんなに時間が経っていたの?」と言う私の感覚。

ご自身が感じる時間の流れは状況によって変わる。
無理にその流れに逆らわず今をしっかり見つめて欲しいと思います。

今年で7周年を迎えるクーリアは
いつでもここにあり続け
飛躍するための準備期間にくつろいだり
皆様が飛躍し、時に羽を休める場所であったり
「大きな木の下にある鳥の巣」そんな場所として
今年も巣作りをしながら皆様をお待ちしております。

酉年…
飛んでも飛ばなくても鳥は鳥。
自分はいつだって自分。

戻られる方、新たに始めたい方
クーリアにはある意味、決められた入り口も出口もありません。
その時が来たら、想いをお伝え頂けるだけで結構です。

そろそろ…「ヨガはじめ」しませんか?
私はいつでもここにいます。Chai

 

「おめでとう」が言えなくても素敵な一年の始まり。

Cooria
あけまして…と
新年のご挨拶をしたいところですが
喪中のため年頭のご挨拶を今年は控えさせて頂いております。

12月中に祖母の旅立ちがあり、
本来なら年末年始は新しい年を迎える準備で大忙しですが
今回はその流れが完全にストップ。

古い仕来たりに従うと
喪中(少なくとも四十九日を終えるまで)は
お目出たいことやお祝い事は避けるのが一般的。
年賀状などを準備していたものの、それらは全て破棄。
派手な行動は避け、出来るだけ行動も控えめに。

娘は楽しみにしていた普段通りの華やかなお正月が
今年は出来ないことを知り、とてもがっかりしていました。
大人たちも皆、寂しいけれどそれが古くからの仕来たり
「祝う」気持ちを抑えなければという感じで受け止めるしかありません。

人生を車の運転に例えると、「通行止め」そんな感じ。
通年行っていたことが強制的にストップされると、ある意味とてもシンプル。
久しぶりの通行止めで戸惑いはありましたが、
数日経つと意外にも落ち着いて物事を捉え、視野の広さを感じ
今までとは違う心の在り方が湧いてきました。

世の中は何て慌ただしいのだろう…
近年の年末年始の過ごし方は一体どれだけ忙しかったのか…
急に起こった通行止めに「たまにはこんなシンプルな年越しもいいものだ」と
正直、ストップをかけられホッとしている自分もいます。

運転中に渋滞に巻き込まれたなら
必死に他の道を探してでも目的地へ向かうかも知れません。
でも、通行止めとなると
諦めて行動できる範囲でドライブを楽しみ、
今まで見落としていた素晴らしい景色との出会いもあるでしょう。

「人は時に強制的に行動を妨げられないと気付けないことが沢山ある」
通行止めで手にした、ゆったりと流れる時間。

元旦の朝
スタジオのお庭では
通年よりも1ヶ月も早く梅の花が満開になりました。

春夏秋冬
季節は繰り返され
当たり前のように過ぎ去る時間の中で
前倒しで咲く季節外れの花。
「なんで今頃?」と思いましたが、
植物はいつだって周りの環境に順応していく。
自分の身を守るため、空気に触れ、雨水を吸収し、太陽の光を受け取り、
その時々で美しく花を咲かせたり、実を実らせたり
与えられた環境の中で生きて行く術を知る。
だから、環境が変われば咲くタイミングだって変わっていく。

私たち人間も、置かれている環境によって咲くタイミングは違うし
美しく咲けない時だってある。
それでもまた次のサイクルはやってくる。
咲けても咲けなくても
同じ木であり間違いなく成長をしている。

慌ただしい環境から一歩離れ
今こうして景色を見渡してみると
本当に大切なものをしっかりと受け取っている自分に気付きます。
忙しいとついつい後回しにしがちな
家族や親しい仲間との関わりの中にある温かさに改めて気付かされ、
それは、スピードを出して走っていた自分を
「通行止め」という形で立ち止まらせてくれたお陰なのだと。

きっと人の言葉の中にも
自分を立ち止まらせ、周りの景色に目を向ける時間をくれたり
心に向き合うきっかけをくれることがある。
その一時停止は決して苦しいものではなく
この先を心地よく過ごすための「生きる術(すべ)」なのかも知れない。

美しく咲くための大事な通行止めとして
与えられたこの時間を有り難く心に受け止め
新たな気持ちでアクセルを踏み、進むべき道を心地よく走りたい。

この想定外の通行止めを感謝と共に。
今ゆったりと立ち止まっている間に沢山の温かな恵みを受け
今年も素敵な花を咲かせることのできる一年でありたいと思います。

おめでとうが言えなくても
いつもと同じ、素敵な一年の始まり。

皆様はどんなお正月を迎えられましたか?
素晴らしい新年の幕開けとなりますように…
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

2017年も新しい出会いを楽しみにしております。
Cooria Chai

 


●2017年1月21日(土)
「はじめてヨガワークショップ」開催:只今受付中
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はじめてヨガワークショップ

〜Departures〜「おくりびと」からの祝福

Cooria

ー 2016年12月のある日 ー

「余命1〜2週間です」
そんな医師の言葉は嘘なんじゃないか…
面会の時、そう思えるほど血色のある顔で穏やかに呼吸しながら眠る祖母。

〝おしゃれで元気だった最愛のおばあちゃん”
10年ほど前に認知症を発症し、数年前から近くの施設で過ごしている。
もう多分私のことは忘れている。
もしも覚えていたとしてもきっと「どこかの誰か」位のものだろう。
それでも自分の中ではいつまでも〝あの頃 ”のおばあちゃんのまま。

沢山の記憶や素敵な思い出をどこかへ持って行ってしまう
「認知症」って病気が本当に憎いと思っていた。

でも、認知症なおばあちゃんと向き合うごとに
過去の記憶よりも大切なのは「今」であると…
認知症という病気に対しての憎しみは段々と薄れてきている。

余命宣告されても割と穏やかでいられるのはいわゆる「老衰」だからだろう。
余命宣告の後は、来るべく時が来た、そんな気持ちで家族は皆
内心そわそわする気持ちを抑え、できる限り冷静かつ穏やかに数日を過ごした。

「老衰」とは、加齢によって生命の維持が出来なくなること。

体は健康でも、この世で生きるには限界がある。
「死」を旅立ちとするならば
急がず穏やかに、老衰はきっと理想的な旅立ちなのかも知れない。

「間もなくです」と連絡を受けたのは余命宣告されたから10日目のこと。
心の準備が出来ていたせいか、いよいよだ…と
寂しさと華麗なる旅立ちを見送る気持ちがマーブル色になって心の奥から溢れてきた。

施設に到着し、まだ温かいおばあちゃんの体を触り
「間に合った」とホッとするも、
その旅立ちを見届ける準備に気持ちを切り替えざるを得なかった。

余命宣告から全く食べず、水もほとんど飲まず
それでもここまで生きれていることを目の当たりにし
人の生命力は一体どこから生み出されるのだろう?

体を優しくさすりながら
自分のエネルギーを少しでも与えたいと思っていたのに
食べること飲むこと以外の生命に必要な
「気」というものの存在の大きさを改めて気付かされると共に
今まさにこの世での人生を終えようとしているおばあちゃんから
逆に温かなエネルギーと、生きることへのメッセージを受け取った気がした。

それから数分後
おばあちゃんは安らかに旅立って行った…

今までありがとうの涙と一緒に
もっとこうしてあげればよかったと
後悔の涙も溢れてきて
こんな自分を許して欲しいと
ただただひたすら涙が止まらなかった。
「息を引き取る」
この言葉を私はよく知っている。
なぜなら今まで人や動物の最後の瞬間に一緒にいることが多いから。

実は私、幼い頃から「おくりびと」体質。
人間でも犬でも
家族の最後は必ず私がそばにいる。
目の前で息を引き取る場面、何度見てきただろう。

おじいちゃんの旅立ちの時も
「一緒に窓から満月を観よう」と言われ、最後まで付き添った。

旅立ち前は家族を明るく
前向きな気持ちになるようにエネルギーを注ぐ。
それが一番いいと、経験から学んだ。

昔はこの体質が嫌だったけど
ある人の言葉でそれが変わった。
「死とは、地上での罪を許され、神様によって天に召されること。祝福されるべきこと。
召される時は癒されたい、そんな時にいて欲しい存在があなただと、生き物は直感で感じるんだと思う。」

そう、私は「祝福の場」にいつもいる。
それが自分が生きる役割の一つだと知った。

 

息を引き取る。
この言葉のイメージだと最後の呼吸は吸う息と思われがち。
でも実は、最後の一息は「吐く息」。それも深く長い息。
何度も何度も見てきたから知っている。

「おくりびと」という映画が公開された時
その映画を海外ではdepartures(旅立ち・出発)と呼んでいた。
旅立ちを見送る人と解釈する。

死が旅立ちなら
最後に吐く息は、残された人へのギフトなのかも知れない。
「息を引き取る」とは残された人たちに命を引き取られるということ。
私たちが息を受け継ぎ、繋いで行くための最後の大切な息。

だから、残された人たちは
その息を大切に使わなくてはいけない。
「死」という形を見せてくれるのは
同時に「生きる」ことへの勇気を与えてくれるのだと…。

クーリアのスタジオは
おじいちゃんおばあちゃんの家をスタジオとしてリニューアルしたもの。
今日もここで深く呼吸している。

しっかりと生きること、それがきっと
故人からの許しとなると信じて…。

これからもこの場所で人に生きる勇気と喜び
命あることの感謝を与え続けたいと思っている。

—————————————————————–

✴︎写真はおじいいちゃんとおばあちゃんの結婚式。
天国でまた再会出来たことを心から祝福している。

ありがとう。おばあちゃん。
おめでとう。おばあちゃん。

Cooria

どちらを選ぶか…

YOGA Cooria

 

秋も深まり
空気の冷たさを感じる11月。

「あれ?今日は暖かいね」と
ご褒美みたいなポカポカな秋晴れの日を迎えた朝は
「ちょっと海まで」と出かけたくなる。

鎌倉方面に行こうとも考えたけれど、今は七五三シーズン。
鎌倉の混雑を避け、ゆったり江ノ島方面へ向かうことに。

天気のいい日の江ノ島は本当に綺麗。
個人的には遠くから眺める江ノ島が好きだけど、
どうせ行くならと島へ上陸。
長い橋をのんびり歩くのもまた心地よい。

「どちらを選ぶか…」このタイトルは
鎌倉か?江ノ島か?の選択肢ではなく、
実は写真のお饅頭のこと(笑)


江ノ島に行ったら蒸したてのお饅頭を歩きながら食べるのが好き。
この日も江ノ島の商店街が立ち並ぶ坂を歩きながら早速にお饅頭屋さんを目指す。
何度も来ている場所だけど、改めて一軒一軒チラ見しながら歩くと
途中にお饅頭屋さんが2軒ある。「え?2軒あったっけ?」
(今更だけどそんなことに気付く)

1軒は知っていたけれどもう1軒は今まで気付かなかった。
(目立つ場所にあるのになぜ今まで気付かなかったのだろう)

まずはいつも視界に入るお店に行き、
実家の父母にもお土産で買って帰ろうかな〜なんて思っていたら、
「美味しいですよ〜。うちのは皮生地から他とは違いますので
良かったら今この場で召し上がってみてくださいね。」
と笑顔で語りかけてくる店員さん。

そこで…せっかくだから聞いてみた。
「あの、この【女夫饅頭】って3軒位手前にもあったお店と同じですか?」と。
「いえいえ、全く別のお店ですよ。お味も全く違います。」
あ、そうなんだ。両方とも『元祖・女夫饅頭』って書いてあるから
「元祖」って元祖だよね?wと頭が混乱。(まあよくあることか)
その元祖のどちらを選ぼうか、まだ時間もたっぷりあるし比べてみることに。
まずはこのお店でいつも通り一個買う。
出来立てのお饅頭を手に乗せてもらい、温かくて柔らかくて癒される。
「やっぱり美味しい♡」
まだ他と比べてないから完全に「ここ」みたいに頭の中がなってしまっている。
(いかんいかん)

で、次は買ったことのないもう1軒のお饅頭屋さんへ。
「すみません、一つください」とにこやかにオーダーするも、まさかの返事が…。
「え?一個じゃ売れませんよ。うちは二個からですので。」
なぬ〜!さすがに今この場でまたお饅頭二個は食べれない。
いや、余裕で食べれるのだけど「お饅頭」でせっかくのお腹を満たされたくない。
(他にも美味しいものが待っております。)
そんな訳で試食は一旦保留に。

お店で立ち竦んでいても迷惑になるので
ちょっと遠目からそのお饅頭屋さんを眺めていると、
あれ?お客さんが全然入らない。
入って行くのはこの先の最初に入ったお饅頭屋さん。(たまたまなのかな?)

少し経ってから…ご機嫌でお饅頭を買おうとした私の心に
先ほどの店員さんの冷たい言い回しが響く。
なんだかとっても寂しい気持ちに。(お饅頭ごときですみませんw)
勝手なお饅頭選手権!?を開催していた私の心は何だか沈んでしまった。
背後から「どう?決まった?」と楽しそうに声をかける家族は
先程までとは違う私の表情を見て不思議そう。

モヤっとした気分で最初のお饅頭屋さんへ戻ると…
「あら、どうだった?うちのお饅頭美味しかったでしょ!」と先程の店員さん。
「はい♡とっても美味しいです。実は失礼ながら、
別のお店も見てきたのですが、やっぱりここで!」と伝えると
「うちのは自信作だからね。一つ一つ良い素材で丁寧に作ってるのよ。」と笑顔の返事。
その言葉が私のモヤっとした気分を吹き飛ばし
「そうなんですね!是非お土産用のを下さい。」と無事お饅頭を購入。
そしてとてもいい気分。
お饅頭選手権なw私を待っていた家族は、振り返ると目の前にいて、
「よかったね。やっぱりこれが正解なんだよ」とニコニコ。
その言葉通り、もう一軒のお饅頭は味わっていなくても
きっと結果は同じだったんだろうなと。

お饅頭を買ったのはもちろんですが、
物を買うことは売り手の想いを買うのと同じこと。
迷う私を嫌な顔せず明るく出迎えて下さり
「またここで買おう!」そんな気持ちにさせてくれました。

どちらも老舗。
どっちが本当の「元祖」かはわかりませんが
そんなことはどうだっていい。
白と茶色の【女夫饅頭】であることには変わらない。

直接お店で買うものには言葉や笑顔のコミュニケーションがある。
それがないならインターネットで買っても同じ。
どちらを選ぶか…
それによって人生も変わってくる。

「選択肢」は時に迷いを生む。
「迷う」という時間は
いいものと出会うため
自分の心と向き合うための大切な時間。
選び方の目線は一つでなく
思いがけない視点も生まれる。
そうやってきっと少しずつ「選ぶ」ことがうまくなるのだろう。

帰宅して父と母にお土産として渡したお饅頭。
早速開けてお饅頭選びの一部始終を話したところ
「あら、やっぱり紀伊国屋さんので正解じゃない?」と。
そして、白いこしあんも、茶色いつぶあんも満喫した母は
「お父さんはつぶあんね!」と
父に選択肢はなかったがw
きっとそれは長く連れ添った「夫婦」にしか解らない「正解」なのかも知れない。

だからよしとしよう♩

美味しいお茶とお饅頭を頂きながらふと思った…
ヨガスタジオ選びにも迷いはあるだろう。
何せ日本にはすごい数のスタジオがあるのだから…

迷い・向き合い
そして選択するきっかけとして
ブログ・ワークショップ・イベントなどで
皆様とのコミュニケーションを楽しんでおります。

お饅頭は売っていませんがw
迷ったら、なんでもお気軽にご質問くださいませ。

今日も心地よい秋晴れです♩
ではでは。

メンテナンスとリニューアル

Cooria

先日、長く使っていたお財布を新調しました。
今までお財布は同じ某老舗ブランドのものを選んでいます。
物は大切に使い、娘の代に繋げようと思っていますが、
毎日頻繁に使うお財布となるとなかなか次に繋げるのは難しいようです。
初めはメンテナンスのつもりで直営店に持参したのですが、時既に遅し。
何せ娘が産まれる前から使っていたのでかなりの年期もの。
致命的な箇所がほつれてしまっていて、とうとう手放すことに。
そのまま新しいものを購入する運びになりました。

「新しいもの」

お財布はバッグの中に2つあってもしょうがなく、壊れたら新しくするしかない。
新調する際にはワクワクする気持ちもあれば、
この先の使い勝手などへの不安が頭の中を行き来する。
長く愛用すればするほど手放す時にはなかなか潔くは行きません。
いざ購入を決めてもアレコレ迷いが生じるものですね。

さて、一般的に買い替えの際は皆さんどのように選んでいるのでしょう?

例えば…
①同じものを選ぶ
②全く違うブランドのものを選ぶ
③機能はそのままに違うデザインを選ぶ
④機能はそのままに違う素材を選ぶ
⑤より良い機能と今の自分に似合うデザインや素材を選ぶ

こんな感じかなと。

ちなみに今回、私は⑤でした。
初めは①にしようとも思いましたが
どうせならプラスαな機能が欲しい
気持ち新たにデザインを変えたい
手触りも新しく違う素材がいい

結果、古いものを手放しリニューアル。
新しく出逢った物を手に、今とてもワクワクしています。

今までのお財布はお気に入りだったけど
新しいお財布はもっと好きになれそう。
過去の自分とは状況も年齢も違い
必要な機能も変わってくる。
長年使ったからこそ
何が自分に必要なのかも見えてくる。
機能も色もデザインも自分の「今」を表しているようにも感じる。

出来る限りメンテナンスをし、
それでもリニューアルすべき時は手放すことを受け入れ一新。
また新しいものを大切にメンテナンスをしながら使う。この繰り返し。

私たちの身体も同じで
どんなに大切にしていても
毎日使っている以上劣化は否めない。

ただ、残念ながら人間に身体は新調することは出来ず
如何にメンテナンスをしながら劣化を遅めるかと言うこと。
修理が出来るうちにきちんとメンテナンス。

と…言ってしまうと簡単ですが、私たち人間には物とは違い心もあります。
身体だけ健康でも心が不健康だと身体への影響も起こります。

肉体を買い換えることは出来ませんが、
心はいつだってリニューアルが出来る。
劣化(老いる)ことへの不安や諦めの気持ちを手放し
今できる限りのメンテナンスを行い、未来の自分に「健康」という贈り物を。

新しいお財布を娘に見せたら…
「わー、新しいお財布だ〜!素敵。
前のはずっと大切に使ってたけど直せなかったのか〜。もう卒業なんだね♪」
そんな言葉を聞き、残念ながらお財布を繋ぐことは出来ませんが
メンテナンスの大切さ、そしてどんなに大切にしてもいつか終わりはある。
私の使っていたお財布からリニューアルの意味も学んだようです。

次に買い換える時、きっとまた私はここで同じように選ぶことでしょう。
どれ位の年月が経っているのか、それも楽しみです。

「繋がり」と「気付き」のアロマテラピー

Cooriaroma
Cooriaの新しい講座
クーリアで学ぶアロマ
「Cooriaroma」(クーリアロマ)。
これから様々なアロマ講座を行っていきます。

先週の土曜日はアロマテラピー初心者のための基礎講座として、第一回「はじめてのアロマテラピー」講座を開催。初回にも関わらずキャンセル待ちを頂くほどご興味を持って頂き、アロマ好きの皆様と心地よい香りをたっぷり満喫しました。

ーココロのYOGAブログー
ここでアロマのことをお話しするより
ここ↓↓↓↓↓では!?と思われるかも知れませんが
アロマコラム「Chai’s Aroma Talk」

でも今回は敢えてこちらで執筆。


「ヨガ」とはサンスクリット語で「結ぶ」「繋がり」。
心・体・魂が繋がっている状態のことを表し、呼吸、姿勢、瞑想を組み合わせることで心身の緊張を解し、心の安定と安らぎを得るもの。調和・バランスの意味も含め、心・体・呼吸・食べ物・香りなど、あらゆるカテゴリーと関係しています。

今の自分と向き合う、自分を知るという点でも
ヨガの瞑想と同じ時間の流れがあり
アロマテラピーは心と体を繋ぐ大事なきっかけとなります。

ヨガの瞑想の時間において
元々瞑想が好きな方もいれば苦手な方もいらっしゃいます。
「じっとしているのが苦手なんです」と苦笑いする方も!?

今回の講座の中で
各自がブレンドするアロマスプレーの作成を行いました。
ブレンドする精油を選ぶ時間は
「どんな香りが心地よいのか」「今の自分はどんな心の状態なのか」
「調和する香りは何か」「どう変わりたいのか」など
ヨガの瞑想の時間で自分自身の心と体へ向き合う状況に似ています。

講座終了後に一人の生徒さんからこんなご感想を頂きました
「普段あまり好きではない香りのアロマを敢えて使ってみたところ
他の香りとブレンドされとても心地よい香りとなり、今の自分に必要だったと
知り、沢山の気付きが生まれました。」とのこと。

私たちの持っている五感は時に好き嫌いを分けてしまう。
「感じる」機能があるのはとても有り難いことですが
その機能が色々と狭めてしまうこともある。

人は何かと調和している時が心地よく
調和できないと不快感を感じ、苦手意識が生まれてくる。

「苦手意識」と言うものは

沢山の「気付き」を手に入れる機会を逃してしまいます。
私たちに必要な気付きは「苦手」の中にもあり
その気付きを得ることで、苦手が好きに変わることも。

ちょっと大げさに聞こえるかも知れませんが
好きが増えると人生は変わります。

皆さんの苦手意識は
もう一度じっくり向き合うことできっと変えられるはず。

苦手が好きに変わった時
それは魔法ではなく
向き合ったご自身の努力であり過去からの成長でもある。

その努力は
そんなに難しいことではありません。
必要なのは「きっかけ」

そのきっかけを与えられるのはヨガの時間にあり
アロマテラピーを楽しむ時間にも。

ただ香りを楽しむだけもよし。
自分と向き合ってもよし。
香りとの繋がりを大切にする時間。

クーリアで是非
「繋がり」と「気付き」のきっかけを手にしてみて下さい…。

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✴︎きっかけの講座↓

はじめてのアロマテラピー
はじめてヨガワークショップ