作品に宿る想い


先日お伝えした『千体仏』が完成しました。
2日間かけて2体の木彫りの仏像様を完成させるプログラム。
1体は大船観音寺の観音様の中に奉納されます。
そしてもう1体はお持ち帰り。
1本の木から同時進行で2体を彫っているのに・・・
仕上がりは全く違う。一瞬一瞬の自分の感情が作用して
力加減や目で見るバランス感覚の誤差でこんなにも違うものになってしまうものかと、物作りはこんなちょっとした違いがまた楽しいものです。

「気に入った方をお持ち帰りください」とのことで、どちらかと言うとスリムなちょっとハニカンだ表情の方を選びました。
物申したそうに・・・ニヤリと笑っています(笑)
観音様の中へ奉納するもう1体は、ちょっと体格もよくどっぷりとしています。作品が仕上がり、早速観音様の中に自分の手で奉納しに行きました。

そこには沢山の同じような仏様。
パッと見は同じでも・・・一つ一つ表情・体格が違っていて
一人一人どんな想いで彫ったのか、想像するとワクワクします。
私の仏像は・・・日々の忙しい日常から離れ、ゆったりとした気持ちで彫れたことの
楽しさ、このひと時があることへの感謝の気持ちと、観音様へ沢山の救いを
求めにくる方が救われますように、との想いが込められている作品です。

大きな観音様も手のひらサイズの仏像も、一つの物体には変わりなく
それを見る人、手にした人によって感じ方は様々です。
例え大きな観音様がお寺に存在しなくても人は心の中で観音様を感じる事でしょう。
それでも物体としての存在を生み出す理由、そこには作り手の想いと眺める側の想いが
救いや希望となり、その存在がかけがえのないものとなってゆく。
物を作り、生み出すこと全てに何か意味があり、その存在がきっと誰かのためになる。

言葉はなくても・・・魂のこもった作品、心のこもった作品には伝える力があります。
人は人生の中で様々な手作りの品を受け取ります。
機械ではなく、人の手によって生み出された数々の作品、
その中にはきっと言葉ではない、表せない素敵なメッセージが隠されていることでしょう。
そして、作り手が送ったメッセージ以上の喜びや感動も上乗せされ作品に魂が宿る。

慌ただしい日々の合間に・・・
時々そんな素敵な作品を生み出し、受け取り、過ごしてゆきたいものです。

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